聖書を読む1 偶像について イザヤ書 44

偶像(ぐうぞう)について

 

辞書では

  1.  木・石・土・金属などで作った像。

  1.  神仏をかたどった、信仰対象となる像。

  1.  あこがれや崇拝対象となるもの。

  2. とあります。英語では idol。

 

聖書を読んだことがありますか?

私はイザヤ書を読んで、信仰対象の偶像が如何に意味がないのかを理解しました。

 

私の実家には仏壇(空海像あり)も神棚もありました。母はほぼ毎朝、荒神(こうじん)さんに炊き立てご飯のお供えもしてました。神事、仏事は大概やっていたように思います。

祖父が死んだときは49日まで毎日読経し、私も経本を暗記したほどでした。

どっちかというと信心深い家だったのですが、この聖句は私を十分納得させる句でした。

 

イザヤ書 44‐9~

偶像を造る者は皆むなしく、彼らの喜ぶところのものは、何の役にも立たない。その信者は見ることもなく、また知ることもない。ゆえに彼らは恥を受ける。だれが神を造り、またなんの役にも立たない偶像を鋳たか。見よ、その仲間は皆恥を受ける。その細工人らは人間に過ぎない。彼らが皆集まって立つとき、恐れて共に恥じる。鉄の細工人はこれを造るのに炭の火をもって細工し、鎚をもってこれを造り、強い腕をもってこれを鍛える。彼が飢えれば力は衰え、水を飲まなければ疲れはてる。木の細工人は線を引き、鉛筆でえがき、かんなで削り、コンパスでえがき、それを人の美しい姿にしたがって人の形に造り、家の中に安置する。彼は香柏を切り倒し、あるいはかしの木、あるいはかしわの木を選んで、それを林の木の中で強く育てる。あるいは香柏を植え、雨にそれを育てさせる。こうして人はその一部をとって、たきぎとし、これをもって身を暖め、またこれを燃やしてパンを焼き、また他の一部を神に造って拝み、刻んだ像に造ってその前にひれ伏す。その半ばは火に燃やし、その半ばで肉を煮て食べ、あるいは肉をあぶって食べ飽き、また身を暖めて言う、「ああ、暖まった、熱くなった」と。そしてその余りをもって神を造って偶像とし、その前にひれ伏して拝み、これに祈って、「あなたはわが神だ、私を救え」と言う。(JA1955)

 

私の信じる神は偶像ではありえません。聖書に描かれる神は私が幼い時から思い描いていた神でした。

 

一度聖書を読んでみてください。